酔の覚めた夫が笹を肩に狂乱の様子で出て一声を謡うのが能<丹後物狂>の一節です。
♪ 物に狂うも五臓ゆえ 酒のしわざと覚えたり
春の脈は弓に弦 かくるがごとく狂うにぞ
ありがも匂いもなつかしや。
咲き乱れたる花どもの 物言うことはなけれども
軽漾(さざなみ)激して 影唇を動かせば
花の物言うは 道理なり
原典の<丹後物狂>では、こうなっています。
♪ 物に狂うは五臓ゆえ 脈の障りと覚えたり
春の脈は弓に弦 掛くるがごとく狂うにぞ
ありがも匂いもなつかしや。
咲き乱れたる花どもの 物言うことはなけれども
軽漾(さざなみ)激して 影唇を動かせば
花の物言うは 道理なり
( こうして物狂いとなって浮かれ狂うのは 五臓の異常で脈がとどこおっているためと思われる。
折から今は春、弓に弦を掛けるように簡単に狂ってしまう。
同じように浮き立って咲き乱れている花々の色や香りが懐かしく感じられる。
花々は物言うことはないのだが、さざなみが立つと、花の影が水面にうつり唇を動かすようだから、
花が物を言うのはもっともだと思える。)
これは<丹後物狂>のシテがいったんの怒りのせいで勘当してしまった我が子を尋ねて歩く時の謡です。
狂言では「脈の障りと覚えたり」を「酒のしわざと覚えたり」と言いかえているだけで後は全面的借用ですね。
狂言法師が母の後場は舞狂言に似たものとなっています。
後夫は能の小段のイロエに移り舞を舞いますが、人に聞いても尋ねる妻はいません。そこで
♪いつかまた法師が母にあひ竹の
と謡います。地謡が引き取って
♪ 乱れ心や狂うらん。
この短い部分ですが謡曲<木賊>から借用したものと考えられます。
<木賊>は子をかどわかされた親が、信濃の木賊が生えている名所園原山で親子対面を果たし名乗りをする物語です。
キリ地
♪かくて親子にあひ竹の。/\。世を故郷をあらためて。仏法流布の寺と為し。仏種の縁となりにけり。
あとに伏屋の物語。うき世語になりにけり/\。
キリ地は終曲部で、リズムは一定、中音域で謡われ、結句近くまでメロディの変化がなく同じ音の高さで続けるものです。
まあ お経の口調をポツポツと切りながら続ける感じとでも言いましょうか。
ここでハッピイエンドを示す
「♪かくて親子にあひ竹の」が
願望を示す
「♪いつかまた法師が母にあひ竹の」
に替えられた訳です。
小さな借用ですが親が子に逢うのと、
夫が子供の母(=妻)に逢うのを
「あひ竹」でつないだものとなっているのです。
花盗人は桜の枝を昨夜に続けて二度も折ろうとした男(瓜盗人の場合に似てますね)がつかまり、桜の幹に縛られて本来なら命をとられるべきものが、粋な歌のやり取りと頓智の才能を活かした
このほどは 花の本にて名はついて 烏帽子桜と人やみるらん
(今回は桜の幹に縄付きとなってしまった。だからこの樹は名を付ける烏帽子の儀式の桜で「烏帽子桜」と呼んでも良いのじゃないかな。
「縄がつく」と「名がつく」は掛詞・秀句)
という歌によって難を免れ、情趣を解する主人から、あらためて桜の枝をプレゼントされるという至って「おめでたい」パフォーマンスです。
♪ あわれ一枝を花の袖に手折りて、月をもともに眺めやの、望みは残れり
は別れに際して花の枝のお礼として舞う時に謡われるものです。
引用された謡曲の<泰山府君>は藤原信西の息子で桜を愛し、自邸にたくさんの桜を植えた桜町中納言(藤原成範)をワキに、天の花盗人である天女が登場し、後シテとして桜を復活させる神 泰山府君が出現するもので世阿弥作と言われています。
原典では 桜の枝を手折る天女が
♪ あわれ一枝を天の羽袖に手折りて、月をもともに眺めやの、望みは残れり
(出来ることならば、一枝を若い身空のこの手に手折って、月と花とを、我が春とともに眺めたいものを。
しかしこの望みはいつも果たされぬ人の生よ)―堂本正樹 訳―
という述懐の歌です。
「天の羽袖」とは「天の羽衣」の意味ですがそれを「花の袖」と言い換えて使っています。
これは狂言小舞「花の袖」として独立して上演されますからひょっとすると狂言小舞が先で花盗人のキリがそれを取り入れたのかも知れません。
天正狂言本ではこの部分は
♪ やらやらおもしろの地主の花や候やな。桜の木の間にもる月の、雪も降る夜嵐の、誘う花とつれて散るや心なるらん。
という謡曲<田村>の一節を使っています。
<田村>では花守童子の心情として謡われるのですが、それを「花の袖」では天女の心情に変えているのですね。
というのは、狂言で歌うもの全てを指し、能の歌=謡や民謡や流行歌を含むものですが、ここではその中でも特に狂言小歌は別にして取り出してみました。
とは、室町時代から江戸時代にかけて流行した歌謡である小歌を狂言の中で使用しているものです。
狂言小歌はこの時代のアンソロジーが続いて編纂されたせいもあって他の時代のものとは違った独自色を発揮しているものですが、今信では扱わず、今信はその狂言小歌を抜いた狂言謡を対象としましょう。
その狂言小歌を抜いた狂言謡は次のように仕分けされるでしょう。
1.能謡をそのまま使用しているもの
2. 材料は能謡ですが狂言としてアレンジして使用しているもの
3.形は能謡ですが詞は狂言のオリジナルか能以外のどこか別の所から借用したもの
今信は1.能謡をそのまま使用しているもの で参りたいと思います。
以上が 1.能謡をそのまま使用しているもの の例でありました。
それにしても狂言には珍しい物狂物の二つ(枕物狂、法師が母)が、能謡の詞章を借りています。やはり物狂物は何かに狂う人間に神や真理や美を見出すという、能が生み出した特殊な世界であり、謡の詞章がどうしても必要な領域なのですね。
先にも触れたようにこの3演目の外は、みんな能謡を狂言としてアレンジした上で使っているようです。これらは次信で触れてみたいと考えております。
では今回はこの辺で またお会いしましょう。
♪物に狂うも五臓ゆえ <丹後物狂>
♪いつかまた法師が母にあひ竹の <木賊>
♪あとより恋の責めくれば <松風>
♪すててもおかれずとれば面影に立ち増さり 起き臥し分かで枕より
あとより恋の責めくれば せんかた枕に伏し沈む事ぞ悲しき <松風>
枕物狂 では金襴の枕を結びつけた笹を肩に登場した祖父が夢うつつの様子で登場しますが、ここで謡われるのがサガリハ(登場曲)の囃子です。
この中に ♪ あとより恋の責めくれば<松風>が使われています。
また見舞いに来た孫二人に問いつめられ、色に出にけり我が恋は何を隠そうと馴れ初めを語りはじめるのです。その馴れ初めというは先月、地蔵講の当番であった辻の刑部三郎の家を訪ねた折に末娘の乙を見染めた祖父が突然老いらくの恋のとりこになり、「乙御前のあまりのしおらしさに、行き違いに乙御前のふとももをふっつと抓り」無礼だと悪口を言われ、末は、乙から枕で打たれたのがキッカケとなったのです。
それがこの枕だと祖父は枕を手に持ち
♪ すててもおかれず
と謡いだします。それを地謡が受けて
♪ とれば面影に立ち増さり 起き臥し我が手(分かで)枕よりあとより恋の責めくれば せんかた枕(涙)に伏し沈む事ぞ悲しき と続けるのです。
(祖父:ぶたれた枕を捨ててもおかれず、ひろいあげたが、手に取ると乙御前の面影が立ち、朝晩私の手が枕をなぜると、後ろから恋が攻めて来るので、しかたなくこの枕に寝なければならない。悲しい。)
これは謡曲<松風>の中で須磨の浦の汐汲松風と村雨が、松に掛けられた中納言行平の形見の立烏帽子と狩衣をめぐっての述懐の謡をもじったものです。
♪ 捨てゝも置かれず取れば面影に立ち増り。起臥わかで枕より。後より恋の責め来れば。せんかた涙に伏し沈む事ぞ悲しき。
( 松風:いっそ捨てればと思うがそうも行かず、手に取ると行平様の面影が立ち、寝ていても、起きていても、かわらず枕のほうから、足のほうから、恋が責めてくるのよ。そうしたらわたし涙にくれて沈んでしまうしかない。悲しい。)
「分かで」が「我が手」になり、「涙」が「枕」に変えられて、情景が一変しました。
表面は能謡の名文句をそのまま借用しているように見せていますが、すっかり狂言風に顴骨脱胎しているのですね。
枕に恋して物狂いとなる といういささかヘンな発想はじつはこの能謡から来ているのかも知れません。なお「枕より」を方向と解釈しないで、具体的なモノと理解するこの発想を手助けしているのではないかと思われる古歌があります。
枕より跡より恋のせめくれば せむ方なみぞ床なかにをる 『古今和歌集』巻十九
(枕からも足の方からも恋が迫ってくるので、しかたがないので寝床の真中にいる)
古今集巻十九といえば「俳諧」、おかしみのある歌を集めた巻ですね。
おかしみを求める精神は、このあたりから狂言につながって来ているようです。
♪ あわれ一枝を花の袖に手折りて、月をもともに眺めやの、望みは残れり
この春の望みは残れり <泰山府君>
花盗人
狂言が能とは密接不可分なものであり、能の影響を強く受けていますから、リズムの部分でも能の謡の影響は強く大きいのですが、
1.能謡をそのまま使用しているもの
先に第十五信では天正狂言本における同様な調べをした結果を出しているのですが、それと比べると現行においては数が減っているなと思います。
その理由として考えられるのは、狂言が時代とともに能謡の影響を減らしつつあるのか、狂言演目がそのものが変化して来たのかいずれかですが、いずれにしても狂言は不変のように考えられてはいますが、時代の変化につれて内容においても構成においても変化しているというひとつの証左になるのでしょう。
そのそれぞれを見てみましょう。
狂言のセリフ部分にはもちろんリズムがありますが、それは目立たず、目立つのはやはり歌と舞部分のリズムです。
その部分は決してつけたりや余計な部分ではなく、散文口語ではない韻文詩語の部分として、その演目の要を示し、巾と深みを与えるのです。
そこにこそ演者の表現したいこと、また見物が玩味してほしいものが示されているのです。
狂言のリズムに注目するようになって良かったと思います。最初に「能は歌舞劇、狂言はセリフ劇」と教わったのですが、それは間違いでは無いにしても、大変誤解を招く言い方で、その後の狂言鑑賞の道をくらますものと成りかねません。
狂言の演目数は流派により、また取り上げ方により違って来ますが、全200曲のうち、純粋のセリフ劇・対話劇は86に過ぎず、残り114曲には狂言謡(歌)・舞・語りが入っているのです。
祇園祭 木賊山
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第六十信 狂言謡その1 能の謡「法師が母」「枕物狂」「花盗人」