ここであらためて思うのですが囃子物とは一体何なのでしょう?

『狂言辞典』―事項編―を見ますと

囃子物:狂言独特の謡で、小鼓、大鼓、太鼓が伴奏する。祭礼の風流(フリュウ)などの歌謡を真似し、脇狂言の末広がり 麻生 三本柱 目近や、昆布柿煎物などにも入る。リズミカルに喜びを表現、軽やかに浮く動作が特徴。必ず繰り返しがあって、最後は多くシャギリに接続する。よく主人の機嫌取りの時に使われ、「げにもさあり や ようがりも そうよの」という囃子言葉が入る。

とあります。
げにもさあり や ようがりも そうよの」というのは「 ほんにそうだよ。やあ 面白いことだね 」ぐらいの意味です。

また囃子ごとというのは・・・ 

囃子ごと:能に準じて次の箇所(小段)で器楽だけで演奏する。

①登場楽の次第(シダイ)一声(イッセイ)下り端(サガリハ)(ハヤ)(ブエ)来序(ライジョ)(ハヤ)(ツヅミ)のところ。

②舞や働き事を伴う()メ・カケリ・舞働(マイバタラキ)(ガク)鞨鼓(カッコ)・三段の舞・神楽(カグラ)・獅子のところ。

③留めのシャギリ 

つまり囃子ごとというのは上記①②③の小段の時の器楽演奏を指すようですから、囃子物とは意味が違っているのです。その意味ではマイ名寄でピックアップした囃子物は囃子ごとを含んでいますね。

マイ名寄でピックアップした囃子物はその歌や踊りや掛け声が重要なもので、それが演目の性格を決定付けているものと言って良いでしょう。

第五十九信   めでたいリズム 囃子物 「三本の柱」

この狂言の囃子物はどこから来たのでしょうか。

田楽や神楽からも来たとは言えるのですが、主には先にも触れた風流の影響が強いと思います。風流(ふりゅう). とは さまざまに飾り立てた作り物を中心に、鉦・太鼓・笛など囃しものの器楽演奏や小歌に合わせて、仮装をした多勢が練り歩くもので12世紀初めに京都から始まった一種の祭礼です。
風流から生まれた祭礼は
祇園祭が代表です。山鉾には依代としての鉾が立っています。
14世紀ころより南都大社寺において「延年」が急速に発展しますが、その「延年」に風流が取り入れられ「延年風流」と呼ばれる芸能が生まれました。狂言はここから出たという人もいます。
室町時代の後期には「風流造り物」が大隆盛でその影響もあり「風流踊」が生まれ、「風流踊」は
願人踊(がんにんおどり)、綾踊、奴踊、花笠踊、棒踊、祭礼囃子、太鼓打芸など、多くの民俗芸能 民俗行事の源流となって行ったのです。

 

さて狂言の囃子物はリズムが基本です。狂言独特の謡なのですが、リズミカルなかけ声が入り、舞や踊りが入る時には足拍子が重要になります。翁の三番叟もそうですね。くりかえしも多く、めでたい階段をだんだん上るように気持ちを高揚させ、人間生命に活力をもたらすのです。リズムの視点を入れると狂言全体が新しい様相を帯びてくるようです。

 

それではこの辺で

またお会いしましょう。

今信からは いちおう狂言の旅の第二部です。リズムの視点から見た狂言演目をコンセプトにして進めて行くつもりです。どうぞよろしく。

今信は囃子物の演目です。仲入り舞台の第五十八信で言い出したようにマイ名寄のおめでたい「神・祝い狂言」の中に囃子物という下部分類をしました。
独特のリズムを持つ囃子物には中世人を浮き立たせる魔法が籠められています。

あらすじ

大果報者(成功者)が出て、自邸の普請のために山で切らせておいた三本の木を運ぶように、太郎冠者、次郎冠者、三郎冠者の三人の従者に命令する。その時「いっそのこと、三本の柱を、三人の者どもに、二本ずつ持て」との謎かけのようなことをいう。三人の従者は山に着き、最初はひとり一本づつ肩に担ぐが、主の言ったことを思い出し、工夫の末に三本の柱を三角形に置き、その角にひとりずつ入って「ひとりが二本ずつ」担げるようにする。そこで めでとう囃子物をして帰ろうと 「三本の柱を 三人の者どもが 二本ずつ持ったり 持ったりや持ったり げにもさあり や ようがりもそうよの」と囃しながら帰って来る。

出迎えた大果報者は、「三本の柱を 三人の者どもに、二本ずつ持て」との智慧だめしにも成功し、その上めでたい囃子物をしているので大いに喜び、素袍の右肩を脱いで、三角になった柱の真ん中に入り 「なんのかんのと言う必要はない。早う内へ持ち込め」と下知する。
シャギリ留め。

 

確かに「三本の柱を、三人の者どもに、二本ずつ持て」というのは、クイズです。それを見事に解決したのは、賢い従者たちであり、めでたいことにも通じることですが、それはこの演目では副次的なものに過ぎません。主はやはり囃子物で、最もめでたいのです。木が囃されて内に入るというのは、神の依代(ヨリシロ)御入来なのです。

依代というのは自然の内に存在する神が寄り付いて、そこに宿るもので樹木,石,(ノボリ),柱,御幣などです。古代人の時代からあった自然信仰は、中世の狂言の時代にもまだ続いていました。樹木や柱があげられていますが、諏訪大社の御柱(オンバシラ)やお正月の門松はそんな依代の一種なのです。また神社での祭事のとき、四方に青竹を立てますがこれも依代ですし、神官や巫女などは採り物(トリモノ)手に持ってそこへ神がのりうつって来るようにします。神楽では、舞う人は。(サカキ)(ミテグラ)(ツエ)(ササ)・弓・(タチ)・鉾などを持ちますよね。これらはみんな採り物で、いわば移動式依代なのです。 

その柱がウチに入る、福が舞い込むのです。

その時に囃します。どういう文句にするか? 「有様(アリヨウ)」という意見があって、そのまま三本の柱を 三人の者どもが 二本ずつ持ったり 持ったりや持ったり げにもさあり や ようがりもそうよの 」となります。文句は有様で良いのです。「 げにもさあり や ようがりもそうよの 」と囃子ことばがつけば、そして喋るのでもなし、歌うのでもなし、その中間の狂言謡で、自然に付いたリズムと抑揚が付けば立派な囃子物になるのです。

マイ名寄で同じ枠に入っている麻生末広がり目近 にはみんなこの囃子言葉が入っているのです。 

ただし「揃える」のが必須の条件です。声を揃える必要がありますね。この口語的に歌う(?)やり方を編み出したのは狂言の功績です。

 

大きな三本の柱を組み合わせて舞台狭しと練り歩く様子は、ちょうど神輿の練り歩きを想像させます。また囃子物のリズムと声を合わせた独特の歌は人間生命の根源にとどくようです。

三本の柱はこうして立派にめでたさをうたい上げ、見物客を巻き込んで終ります。

囃子物はなぜめでたいのか 三本の柱のような材木運びに過ぎないものをなぜ神祝い狂言の中に入れたのか。

三本の柱のあらすじから見ていきましょう。

大蔵流 三本の柱  撮影:牛窓雅之

囃子物の枠には麻生 栗隈神明(くりくましんめい)三本の柱 末広がり 煎物 唐相撲 鍋八撥 松脂 目近の9曲が入ります。

しかしこの枠以外にも 囃子物や囃子ごとが入っているものもあるのです。大蔵流の例であげてみますと・・・ 

<囃す言葉や歌で人をノセる>

畑主が柿を盗んだ山伏をなぶって「鳶なら飛ぼうぞよ ほらヒイ」と山伏をノセる柿山伏

かたつむりであると称した山伏が、民謡の「かたつむり」を歌って踊る蝸牛

都のすっぱが己の息子を地蔵だと言って売り渡したその地蔵が踊り出す金津

靱猿の後半にかけ声をかけながら歌われる猿歌。(この場合は猿をノセるのです)

道心を抱いた鈍太郎が諸国行脚に出かけると知って、締め出した下京の女と上京の女が会い談合し、留めに入る。
遺留を受け入れた鈍太郎を、女二人して手車に乗せ囃しながら宿に向かう。

<呪文を使う>

太郎冠者が都のすっぱから太鼓の撥を打出の小槌だとごまかされる際に使われる呪文宝の鎚

<責メを使う>  

祇園祭の山車の今年の演し物は地獄の責メをする事となり、その稽古ではくじ引きにより罪人には主、責メをする鬼には太郎冠者がなることになる。その責メの実演。(鬮罪人

等があります。

が、名寄は登場人物中心で分類しているので。マイ名寄でも靭猿は「大名狂言」、鈍太郎は「聟女狂言」、
柿山伏蝸牛鬮罪人は「鬼山伏狂言」、宝の槌金津、は「職人狂言」に所属するようにされています。
こうしてみると狂言は囃子ごと、囃子ものが随分多いでね。リズミカルなものが大好きだと言っていいでしょう。

イラスト 安芸和美

イラスト 大蔵教義

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葵祭

囃子物に分類されたもの他の9曲については
「げにもさあり や ようがりもそうよの」という決り言葉を使うのが麻生末広がり目近

松囃子が出て来るのが松脂栗隈神明です。
松囃子は播磨の守護大名であった赤松家からはじまった新年を寿ぐめでたい囃子です。
それで京都から全国に広まりました。
後には唱門師(ショウモジ)散所(サンジョ)などの専門の芸能関係者ばかりではなく、村民や町人など各階層の人間が着飾り仮装し、歌い踊ることとなりました。
だから
松囃子は、念仏踊りや獅子舞のもとになった
中世芸能の風流(フリュウ)の一種とも言えるのです

次に
煎物、 鍋八撥があります。煎物では祇園祭の演し物である囃子物の練習という設定です。両者に共通するのは鞨鼓(カッコ)のリズムを楽しむということでしょう。このリズムがめでたい感覚につながるのです。鞨鼓芸の本芸があった後に、道化(煎物売り、ほうろく売り)の鞨鼓芸の真似芸があるという構成で、留めはほうろくが割れて「数が増えておめでたい」と言いますが、この「めでたい」のはいささか負け惜しみで、本当に「めでたく 面白い」のは鞨鼓芸でしょう。
狂言は散楽や田楽の伝統をひきついでいるのです。  

ちょっと風変わりなのは唐相撲です。日本の相撲取りが唐で唐の帝と楽に合わせて相撲をとる、のですが、「相撲の根源は神事なのでめでたい」「日本が勝ってめでたい」のに加えて、楽器演奏があるので、余計にめでたいのです。
単純に滑稽でしかも大いにめでたいのです。

祇園祭 綾傘鉾

諏訪大社 御柱

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長野 蓼科神社 神代杉

魚津 たてもん祭 依代提灯